
ないものですから、ダッダッダッと行って話してきたら、英語なんか下手くそなんですけれども、人気を得まして、ヤスコ、ヤスコと言ってもらった。世話になったお父さんも「ヤスコは成功した」といってくれた。表現するというのは、国民から市民への1つの条件であると思いますね。その表現力をどう身につけるかということを、ぜひ1つのテーマにしていただきたいなと思っています。
青年の家という名前について、かなり議論もしました。もはや青年ではないんじゃないか、利用対象には幅があるのではないかと思いました。1つは、ニックネームというか、愛称を早くつけた方がいいんじゃないかなという気がするんですね。どういう名前がいいのか僕もわかりません。
ただ、中野区で1度お話をさせていただいたときに地元の人に聞いたんですが、中野の駅前に、勤労青年が集まる勤労福祉会館というのがあったんですね。あれを中野サンプラザという名前にした。あのサンプラザにしてから、イメージが変わりましたね。もう大分昔の話ですが。あそこでよく音楽会とかダンスとかの会をやるものですから、若い人のおなじみになった。あれが中野勤労福祉会館とか中野勤労青年会館だったら、あれだけの人気は絶対に出なかったと思いますね。
きょう私が出るときに、青年の家と言わずに、何とかプラザとか言っておったら、子供も聞く耳を持ったかもしれないなと思うんですね。青年の家と言うだけで、これは何か、ひょっとしたら宗教が関係しているのかなと思ったり、学校がなと思ったり、そんなイメージだと思うんです。だから、青年の家は青年の家でいいんですが、流行に乗って後ろめたいところはありますが、愛称は片仮名の方がいいのかなと思います。
青年の家という名前、これは本タイトルなんですから、どういうふうに考えるべきか。青年が主体である施設である青年を主体として、上と下に伸びていく、それから横に伸びていくという、あくまでコアは青年であるという考え方は、これはきちっと持っていた方がいいと思うんですね。そこをぐじゃぐじゃにして、何でもいいというふうにはならない方がいい。あくまで青年にこだわる青年は何歳から何歳までだとか、そういうことを言われると、困りますけれども。青年会議所が40歳までですから、それぐらい幅をとってもいいと思うんですが、青年というみずみずしい、これから育っていく、しかも時代を担っていく、そういう人たちをコアとした施設である青年と老人クラブとが常に交流できるか。なかなかできない。子供会を連れてきて交流できるか。これはなかなかできない。世代同士の交流といったって、そういう人たちが来てくれなきゃだめですから。サッカーでいうと、サポーターが青年である青年の家のサポーターが青年であるそのサポーター組織が青年によって支えられているというふうに考えていって、できるだけ青年を、特に地域の青年の人たちを運営の中に取り込んでいくということ、これが原則であり、特徴であるというふうにして、その器に年寄りも乗る、子供も乗る、お母さんも乗る、お父さんも乗る、ファミリーも乗るとしていった方がいい。だから、青年に依拠したものをはっきり決めていただくのがいいのではないかなと思います。それが言いたいことの1つです。
もう1つは、先ほども若者たちのマナーの話をしたんですが、青年の家に来たら何がしかの不便がある。明治大学の岡野加穂留先生が飢寒乏精神とよく言われますが、「キカンボウ」の「キ」は飢餓の飢ですね。「カン」は寒いの寒、「ボウ」は貧乏の乏で、飢寒乏を今の若い人たちは全く経験しない。飢えも寒さも貧乏も全く経験がない。だから、飢寒乏をある時期経験せんといかんのだとおっしゃるんですが、これは経験しようと思ったら、冷房も暖房もない山小屋の中で、1人で何の援助もなしに過ごしてもらう以外にないわけで、そんなことは無理ですから、そこまでは言わなくても、不便というのを楽しむというか、不便を客観的に感じる感じることによって、本当に心の豊かさに到達するというふうなね。
一番手っ取り早いのは、駅に着く。駅に着いて、青年の家まで何キロあるかわかりません。これは場所によっていろいろでしょうけれども、バスの送り迎えなんかする必要はないと思いますね。せめて行きだけでも。帰りは送ってあげてもいいんですが。30分かかる、1時間かかる。2時間は長いけれども。時間の問題はありますが、駅をおりて青年の家まで
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